写真はきっと奇跡じゃなきゃ。
そうすれば、いつだって自由でいられる。
































温かい光の中
彼らと冒険に出た
彼女の頭のなかには一人のおとこが揺れる
揺れる。

燃える草木。
どうしてこうなったのか
全てはじっくり向き合わなかった
結果。大切にできない自分を責めながら
誰かにわかってくれる事を求めるばかり
傷を負わせ、傷だらけになる身体
そんな身体と同一化していく心。

ふと、知らない間にずっと力いっぱい瞑っていた目が開けられた
目の前には怒った知った顔
突然ぶん殴らた。
それは父親のあの愛の固まりのような力強く握られたこぶしに
少しだけ似たなにか。

いいか
目を開けるんだ
起こりえる事は全て
お前してきた事なのだ
受け止めよ



それが温かくなるまで。











































犬のような胴体のもの

「これは神様だよ。」

それだけを
コウブンさんは言うのであった

YOSHIDA KOUBUN
photo hiraoka shoko






























無花果をつけた木
悔いなく、
生きる事を全うしたような
力強く枯れた葉

恐ろしく美しいものを見た気がした。

「そーんな枯れたもの撮って、もの好きな人もおるもんじゃ。
そんなんよりいいもの見せてやる」
と、おじいが連れて行ってくれた畑の堆肥の中では
大きく育った甲虫の幼子が
何十匹もぷりぷり生きていて

花びらが散った地面に置かれた幼子は
私たちが知らない世界から
生まれてきた事を歓迎されているようだった。
















あれから三ヶ月も経つのに
頭の奥にずっと優しく寄り添うような記憶はなんだろう。

2014年9月、瀬戸内海に浮かぶ無人島での牛窓ナチュラルキャンプ。
夜、フェリーに乗り遅れた私を迎えてくれたのは、
真っ暗闇から現れた赤いカヤック。
暗い海を、カヤックが無人島を目指しゆっくり進んでいく

ただ暗かった闇の波は、海を進んでいくにつれて月明かりと
手に触れた海蛍の輝きでだんだん明るくなっていくのがわかる
遠くに目をやると、街明かりから空へ光のグラデーションの模様ができていた。


ずっとこのまま、この波と音に漂っていたいと思った


島では思い思いの時間が流れ、思い思いに音楽が流れる


月と太陽の光の下に生きている。
そんなことを想った記憶がひっそりと、そして優しく
今も寄り添う。






































































  
















































友人に会う為と、その友人のおばあちゃんが還暦を迎える記念にと
家族写真を撮る為、2014年の冬、私は福岡に向かった。

家族写真を無事撮り終えた後、
東京から岡山に移住した少し世話のかかる友人と合流し、
入った雰囲気のある珈琲屋。
彼女はお店のカウンターで珈琲を淹れていた。

穏やかで気取らない、気持ちの良い空気をもつ人であった。
写真を撮らせてもらって数か月後、
フィルムに焼き付いた彼女はやはり気持ちの良い目で
私を見るのであった。











おはよう、あやのさん。朝だよ。
顔をあげるといつの間にか春がきていて
なかなかその春についていけなかったのだけど

何かが今、静かに水面下で動き始めている気がする。
これからきっと地面に沢山の雨が降り注いで
植物たちはシャワーをあびて
また、大切な人達と出会った夏がくる。

部屋の枯れて切り取られた茎からは
いつの間にか新芽がでてきていた。
人生は、きっとそうゆうことだ。